2017.09.02

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桜坂劇場で「 米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」が上映されていたので観てきた。

上映10分前に入館したんだけど、席はほぼ満席で、二つ並んで空いていたのは一番前だったのでそこに座った。映画館では一番前に座るの、首が疲れそうだから今まで避けてきたけど、実際経験してみるとそんなに疲れなかったし、前の人の頭の動きも気にならないから意外に良いなぁと思った。

この映画、上映初日には館外まで長蛇の列が出来ていたと聞いていた。実際この日も満席で、あとから通路にもパイプ椅子が設置されるほどだったんだけど、95%は高齢者のお客さんだった。映画の内容がビリビリ心に響いただけに、若い人があんまり観ていないようなのは残念だった。

内容は沖縄戦〜沖縄の日本復帰、そして復帰後も米軍関係者による犯罪で苦しめられる沖縄を、カメジローの人生を辿って学べるものだった。

沖縄の戦後を生き抜いてきた人たちは、こんなにめちゃめちゃ不遇な扱いをされてきたんだってこと、実際全然分かっていなかったことに気付かされた。映画の中で米軍基地での沖縄の人の劣悪な労働環境が取り上げられていたんだけど、わたしの祖父も戦後は基地内で働いていて、「じいちゃんが言ってたのはこれか!」と言う感じ。祖父の口からどんな風に働いていたのか聞いたことが無かった。やっぱり、戦争を体験していない私は、楽観的にしか考えていないんだなと思った。

あと、沖縄の高齢者の人たちは自ら政治・基地問題に参画していくしか自分の暮らしをまともなものにする方法は無かったのかなと思う。

今の沖縄の投票率や米軍に対するデモ活動、高齢者が目立っているのは、こういう背景も関係があるよなぁとすごく痛い気持ちになった。

若い人にもっとこの映画を観てもらいたいな。

あと、カメジローさんの人柄はとっても魅力的で、ユニークさ、ひょうひょうとした振る舞いはとても力強いなと思った。

2017.08.12

自分の思っていることや考えを、適切にことばで表現することに難しさを感じる。

発することばの選択と、相手の反応(受け取り方)が思惑どおりだということの二つが成り立ったとき、この不安は解消されるけど、なかなか確認することは難しい。

それに、適切に伝えたいか よりも どう感じてもらいたいか で成功かどうかを判断しているような気もする。反省

それに長けてるなと思う人もいるけど、それこそ分かり得ないことだ

2017.08.10

ミシェルセールの「皮膚が合わさった場所がこころのあるところ」、なんてロマンチックな言葉なのだろうと思った。でもこの言葉は詩ではなく、この言葉の云わんとすることは、

例えば、悔しいときや何かに耐えているとき、唇を噤んだり、噛み締めたりする。

例えば、やる気で満ち溢れたとき、筋肉に力が入ったりする。

例えば、誰かの安全を祈るとき、手と手を合わせたりする。

こころは見えないけれど、その動作によって可視化することができるのではないか、そういう意味であります。エロティックは含みはない…

だけど、(エロに限らず)人と人とが触れ合うとき、それこそ皮膚が合わさるとき、もしかすると複数名のこころが見えてくるかもしれないね。

2017.07.19

めちゃくちゃに暑い

自分ではコントロールのきかないことは、どうでも良いことから大事なことまで色々あるけど、自分に関係する部分が大きければ大きいほど苦痛になるらしい。わたしはその境遇に立たされたとき、面倒くさいと呼ぶことが多い。

 

夏の猛暑は自分ではコントロールが利かないし過度な暑さは生命を脅かすから苦痛なのだ(面倒くさい)

 

面倒くささは苦痛だ

でも生きていくには克服していかねばならない

 

面倒くさいこと、一つ一つ、解決していかなければ

 

2017.02.06

忙しい日々を過ごしています。確かに忙しいはずなのに、忙しいと言うと何か言い訳をしているような、逃げているような気持ちになって心底情け無くなる。今年は体力をつけて、元々少ない会社員の休日を有意義に過ごしたいな。体力が無いと気力も湧いてこないことは知っている。 

今年に入って友人が二人も亡くなってしまった。この二人の死をわたしはまだどう捉えていいか分からずにいる。頻繁に連絡を取ることは無かったけど、この二人のことを考えると「もう会えないんだ」と寂しくなる。共有できた数少ない思い出をじっくり噛み締めた後は、決まって必ず「もっと同じ時間を過ごしたかったな」と思って、同時に何て浅はかで調子が良いことを言うのだろうと自責する。こういう時、故人に対してどんな気持ちを抱けばいいんだろう。悲しいも、寂しいも、辛いも、自分のことばっかりで、本当に嫌気がさす。ありがとうを言うには、もう少し時間がかかるっぽい。

「御愁傷様です」という言葉もまだわたしのものになっていなくて、でも他の言葉も持ち合わせていなくて、そう言うべきであろう場面ではどもってしまった。ちゃんとお別れをしたくて参列したのに、彼女の遺影を目の前にしてわたしは、何の言葉も贈ることが出来なかった。

2016.08.21

一昨日の夜は仕事が終わったあと、G-shelterに行ってMAVEL君が主催する「CANDY MARKET」に出た。わたしたちとParanoia以外はヒップホップ出身の演者さんばっかりだったからとても緊張した。わたしたちはヒップホップの背景がないにしても、ラップという手法でマイクを取ってるんだから、これで「土俵が違いますよ」ってどうにか体現してもお客さんたちは納得しないだろうなぁと…。もう堂々とやりきるしかなかった。今までで一番ふざけてないライブだったんじゃないかなぁ。聴く耳持たないお客さんもたくさん居たけど、新しい心の持ち方が発見できたのは大きな収穫だったな。初めて依頼を受けてライブしたときなんて、いつでも緊張で泣けるような心境だったけど、それに比べて今のわたしの心はどんどん強くなっているし、どんどん強くなっていくなぁと思った。MAVEL君は最初からずっとニコニコしてて、励ましてくれて、なんて素敵な男の子なんだーと思った。わたしがイベント主催するときなんか、色々気が回せてるかなって余裕無くなっちゃうし、お客さんもちゃんと来てくれるかなって不安が募っちゃうけど、すごく堂々としててかっこよかった。ライブ中も楽しんで観てくれてるのが伝わって、嬉しかった。ずっと笑っていて欲しい男の子だなと思った。

2016.08.15

今日はウンケーといって、あの世からご先祖様がこの世に戻ってくる日である。仏壇がある家に親戚の人たちが集まって、仏壇に手を合わせて、ウンケージューシーを食べながら近況を報告する。だから仏壇がある長男の嫁はお客さんを迎える重要な務めがあるのだが、わたしの会社はウークイにしかお休みをもらえないので、主婦の働く皆さんは定時になった瞬間あわてて家に帰っていった。わたしも便乗して、「家の手伝いが〜…」といった顔をしながらすぐ帰った。帰宅すると既に叔父が寛いでいて、「お帰り〜」とわたしを招き入れた。腰を下ろそうとすると、父が、まずはコレ、とお線香に火を灯し差し出す。お仏壇に手を合わせて、久しぶりにご先祖様を意識した。わたしはちゃんと恥ずかしくない生き方をしてるだろうか、自分を省みてみたけど、まだどこか自信がない。